2012年10月07日掲載 【たった1つの酵素のわずかな違いが、ショウジョウバエの生活史を変化させた】

地球上の生物の中には、特殊な環境に適応して独特の進化を遂げたものが多数存在します。しかし、それぞれの生物がこうした特殊な環境に適応するにあたってどのような遺伝子レベルの変化が必要であったのか、不明な点が多く残されています。本コラムでは、最近筆者たちが明らかにした、ショウジョウバエの食性の進化に関わる遺伝子の変化について紹介いたします。

はじめに

地球上には、通常では生存できないような多種多様な環境に適応した様々な生物種が存在しています。こうした生物種の進化の過程では、環境への適応が可能になるように、生物のゲノムにコードされた遺伝子がうまく変化してきたことが予想されます。

しかし、こうした環境への適応と遺伝子の変化が具体的に解明された事例は、いまだに多くありません。

今回、筆者と東京大学の片岡宏誌教授のグループは、フランスのパリディドロ大学のVirginie Orgogozo博士を中心とする研究プロジェクトに参加し、サボテンのみで生息する特殊なショウジョウバエに着目し、その進化に関わる遺伝子の変化を明らかにしました。

コレステロール代謝に関わる酵素「Neverland」

図1: サボテンの一種Sanita cactusに生息するショウジョウバエDrosophila pacheaにおけるステロール要求性の変化と脱皮ホルモン生合成(作図協力: 恩田美紀・天久朝恒)
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昆虫が卵から成虫へと発育をするためには、エクジステロイドというステロイドホルモンが必要です。エクジステロイドは、特に脱皮と変態の誘導に必須の役割を果たすことから、「脱皮ホルモン」とも呼ばれます。脱皮ホルモンは一般に、コレステロールを原材料として生合成されることが知られています。このコレステロールは、餌の中から昆虫が直接取り込む、あるいは昆虫が食べた餌の中の植物ステロールを腸管で変換することによって得られます。

筆者と片岡教授のグループは、モデル昆虫であるキイロショウジョウバエDrosophila melanogasterおよびカイコガBombyx moriを対象とした研究から、脱皮ホルモンの生合成に必須の役割を果たす酵素Neverland(以下、「Nvd」と省略)を同定し、2006年に発表しました(Yoshiyama et al. 2006; 図1)。さらに我々は2011年に、Nvdの酵素活性を生化学的に調べる手法を確立し、Nvdが昆虫のみならず、動物で進化的に保存されたコレステロール代謝酵素であることを報告しました(Yoshyama-Yanagawa et al. 2011)。一連の研究成果は、博士研究員だった吉山(柳川)拓志博士の多大な貢献によるものです。

サボテンに生息するショウジョウバエのステロール要求性

Drosophila pachea(以下「パチアショウジョウバエ」)は、アメリカからメキシコにかけて広がるソノラ砂漠に生息するショウジョウバエであり、Senita cactusというサボテンでのみ繁殖します。そして、パチアショウジョウバエは、コレステロールや一般的な植物ステロールを原材料として脱皮ホルモンを生合成することができないにも関わらず、サボテンに含まれる特殊なステロールであるラソステロールを原料として脱皮ホルモンを生合成します(図1)。つまり、パチアショウジョウバエは、広食性の祖先種から進化する進化の過程で一般的なステロールに対する代謝活性を失ってしまい、サボテンから他の植物に戻ることが出来なくなってしまった…と想像されます。では、パチアショウジョウバエで生じたステロール要求性の進化は、遺伝子レベルのどのような変化によって実現されたのでしょうか。

ショウジョウバエの食性の変化はNeverlandの酵素活性の変化と関連する

Orgogozo博士らは、Nvdの基質がキイロショウジョウバエとカイコにおいてはコレステロールであることを示す我々の研究成果に着目しました。彼女は、パチアショウジョウバエではこのNvdが進化し、基質となるステロールへの特異性が変化したのではないかという仮説を立てました。そして今回、Orgogozo博士を中心として、筆者たち日本側チームを含む様々な分野の研究者が参集し、以下の点を明らかにすることが出来ました(Lang et al. 2012)。

  • i) パチアショウジョウバエのゲノムにもnvd遺伝子はコードされている。
  • ii) パチアショウジョウバエにおいてもnvd遺伝子は脱皮ホルモン産生器官で特異的に発現する。
  • iii) パチアショウジョウバエのNvdはコレステロールを代謝できず、代わりにラソステロールから脱皮ホルモン生合成のための中間産物を生合成できる。
  • iv) パチアショウジョウバエのNvdとコレステロールを基質とする他の生物種のNvdのアミノ酸配列を比較すると、パチアショウジョウバエの酵素機能を変化させる可能性があるアミノ酸部位はたかだか数ケ所のみである。
  • v) パチアショウジョウバエのNvdで変化している3カ所のアミノ酸を通常型タイプに人工的に変異させると、コレステロールを代謝できるようになる。

これらの結果は、サボテンに特化したパチアショウジョウバエの狭食性が祖先種である広食性ショウジョウバエから進化した際には、Nvdというたった1つの酵素の基質特異性の変化が決定的な役割を果たしたことを示唆しています。今回の成果は、酵素の特性に変化を与える遺伝的変化が生物の生活スタイルの進化に関わることを具体的に示すものであり、進化生態学的に重要かつ先駆的なものです。

筆者は、発生生物学や遺伝学、分子生物学を専門としており、普段は研究室の中に閉じこもって、良くも悪くも理想的な系だけを利用して研究しています。今回、昆虫の進化や生態といった「実際の」世界でおきている現象に迫ろうとするOrgogozo博士の研究に関与できたのは、筆者にとって大変に幸せな体験でした。分野外の研究者にも関心を持ってもらえるような研究を展開できるように、今後も頑張っていければと気持ちを新たにしています。

参考文献

著者: 丹羽隆介 (筑波大学 生命環境系/JSTさきがけ研究者)

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