2009年09月10日掲載 【昆虫を扱う職業: 地方農試からの手紙】

前略

昆虫学を専攻している学生諸君の中には、専門性を生かせる就職先の選択肢の一つとして地方農試(都道府県立の農業関係の試験研究機関)を考えている人も多いことでしょう。私は20年以上地方農試で害虫の研究に従事し、現在は研究を総括する立場です。地方農試における昆虫関係の仕事の現状について私の経験を交えて書いています。この手紙が昆虫の研究を志す諸君が就職先を選択する際に参考になれば幸いです。

草々

地方農試での仕事に必要なもの

一に体力

写真1: 果樹カメムシの調査(長さ6m、重い....)
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写真2: ミカン園での天敵調査
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仕事の大部分はフィールドワークです。だから、みんな日焼けしています。場内ほ場だけでなく、現地に行って農家ほ場を借りて試験することも多く、夏でも一日中野外調査が出来る体力が必要です。私は28歳の時試験場に転勤して来て3ヶ月で5kg痩せました(現在は+○○kgですが....)。現地調査中に熱射病になった事もあります。ハウスのビニル張りや田植え等人手がいる時は、現業職員やパートの人に率先して農作業もこなさなければなりません。広い場内ほ場の管理も全員で行います。当然、簡単な農業機械くらいは使いこなすことが要求されます。体を動かすことが好きな人には向いているかもしれませんが結構ハードで、歳をとると研究+農作業はかなりキツイです。

二に度胸

写真3: 講習会では農家から直接要望が出る
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現場対応、行政対応も大事な仕事の一つです。農家やJA、普及員からの診断依頼はもちろんのこと、一般市民からの診断依頼や電話相談にも対応します。従って、自分の得意とする分野以外に昆虫一般、植物の病害、農薬の種類と使用法等に関しても一応の知識が求められます(担当研究者が1人の場合、着任したその日からあなたが県内におけるその道の最高権威者w(゚д゚* )wとみなされるのです)。県主催の病害虫防除対策会議や農薬展示圃の検討会への出席、防除指針の執筆、JAや生産部会の研修会講師等の仕事もあります。さらに、作物単位で開催される試験場内の研究会議へも出席しなければなりません。経験不足は度胸で補い、「転んでもタダでは起きない」プラス思考を持つことが大事です。

三、四がなくて五に情

職場内の研究者間のつながりも大学や独法と比べると密です。建前上、研究課題は研究部の責任において実施するようになっているので、隣の席の研究者が病気や長期研修等で研究出来なくなった場合でも研究の中断は簡単には出来ません。周りがカバーして何らかの成果を上げることが要求されます。ですから、いくら研究が「個人営業」といっても、「アッシには何の関わり合いもネエことで、ゴメンなすって」では地方農試はとおりません。「紅旗征戎、吾ガ事ニアラズ」と、部屋にこもって自分の興味のある研究だけがしたいという人には地方農試は不向きでしょう。

地方農試における研究の特徴

現場とのつながりが濃い

昆虫研究に限らず、地方農試における「研究」をクラウゼヴィッツ風に定義すると「地方の農業振興に関する行政的課題を解決するための手段の一つ」となるわけで、私の県の場合、行政や普及センター、生産者団体等から研究課題に関する具体的要望(例えば、水稲でミナミアオカメムシの被害防止対策を確立してほしい、等)が毎年提出されます。地方農試における研究課題の多くはこの様な要望に回答する中から出てきます(もちろん、研究者の発想による研究課題の構築もあります)。地方農試では、生産現場と一体となって実施する研究も多く、自分の仕事に対する反応がダイレクトに返ってきます。評価の一番の基準は現場で役立ったかどうかです。厳しいですが、やりがいはあります。現地で農家のじいちゃんに感謝されるとモチベーションがあがりますよ。

研究者がスキルアップするには

昆虫分野の研究では県内の農作物に対する害虫の被害を減少させる方法の開発とその効率化が戦略目標になります。学術的興味の探求が優先される事はありません。県内の農業振興に直接的な貢献が求められるので、昆虫の分類を表看板とすることは困難でしょう(少なくとも表向きは)。このように、地方農試では大学のように自分の興味のある研究が自由に出来るわけではなく、かなり限定された条件下での研究になります。しかし、課題に対する具体的なアプローチの方法は研究者自身の創意工夫に委ねられる部分が多いため、その中に自分の興味があること、やりたいことを盛り込むことが可能です。また、自己の研究能力のアップも日々の研究課題の中で実施しなければなりません。そのためには、研究課題の構成にあったては、ほぼ確実に成果が出る項目以外に、チャレンジする部分を何割か入れておく必要があります(この塩梅が上手く出来るようになると一人前の研究者です)。当然、それで学位を取得することも可能です。それどころか、学位取得は奨励されています。従来の「論文博士」に代わり、博士課程の社会人枠を利用するケースが増えていますが、私の県では毎年2,3名が学位を取得しています。今や地方農試といえども、研究者の看板を掲げて仕事をするためには学位くらいは当然と言っても過言ではありません。但し、学位取得は自己の研究能力アップのための手段であって、真の評価はその後の研究にかかっているのです。

昆虫分野における研究内容

写真4: 累代飼育中のカメムシ
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写真5: ハウス内での薬剤散布、あつい....
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写真6: 農家のイチゴハウスでのカブリダニの放飼試験
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地方農試における昆虫分野の研究のキーワードは「安全・安心」、「減農薬」、「IPM」といったところで、今後は「気候温暖化」が加わるでしょう。天敵やフェロモン等の資材を活用して化学農薬の使用を削減する栽培体系に関する研究が主流ですが、今後は土着天敵の高度利用法にシフトしていくでしょう。各人はその中でそれぞれが自分の興味がある分野の基礎的な研究を行っています。その一方で化学農薬の効果試験に関する仕事も地方農試ではおろそかには出来ません。現在のところ大部分の作物で化学農薬を全く使用しない安定生産技術はありません。現場から一番多い問い合わせは「○○に一番よく効く薬は何か?」です。「ぶっかけ試験」と言って農薬の効果試験をバカにする傾向がありますが、上手く使えば、化学農薬ほど安価で使い勝手が良く効果の安定した防除資材は少ないでしょう。各剤の特性を把握し、それにあった上手な使い方を指導するのも仕事の一つです。また、温暖化に伴う新発生害虫や感受性が低下した害虫に効果の高い薬剤の選抜は重要な仕事です。さらに、IPMにおいても、天敵等の効果を補完する資材としての化学農薬の使い方は成功の重要な鍵です。従って、「ぶっかけ試験」もおろそかに出来ないのです。

研究者の待遇

多くの地方自治体では農業試験場等で働く研究者の基本給は行政部局や普及センターで働く同年代の職員より若干高いと思います(普及員などは別に「手当」という+αがつきますが)。公務員の場合、職種ごとに適用される給与体系が決まっていて、研究者に適用される「研究職給与表」と行政部局の職員が適用を受ける「行政職給与表」を比較すると同年代では研究職の方が高く設定してあるからです(既に一本化した自治体もありますが)。その分、ステータスは高くみられますが、「高い給料もらっているくせに」と風当たりも強くなります。また、後で述べますが、研究者も「農業」という枠で一括採用した中から選ばれる場合は、普及センターや行政部局への異動もあります(本人の希望にかかわらず)。当然、その場合は給与が減少します。さらに、管理職になると行政職給与表適用となり基本給が下がる場合が多くなっています。

地方農試で昆虫研究者となるための具体的方法

まずはお受験

昆虫の研究を生業にするのは何処でもなかなか困難です。地方農試の場合、全国47都道府県全てに設置されており、その中には必ず昆虫を研究するポストがあるので、研究者の絶対数は大学や独法より多いかもしれませんが、そこにたどり着くには幾多のハードルがあります。まず、最初の関門は地方公務員の採用試験です。研究者に関しては選考採用を取り入れている地方自治体もありますが、大部分は「農業」というカテゴリーでの採用です。昔はさほどではなかったのですが、近年は不景気や公務員数削減の影響もあり結構高いハードルのようです。これは、いわゆる「お受験」の一つなので、割り切って「受験勉強」するしかありません。

現場の経験を糧とする

目出度く採用されたとしても、すんなり研究ができるとは限りません。一次試験をパスし二次試験にたどり着くと、面接ではきっと、「試験研究を希望しているようですが、他の仕事は希望しないのですか」等と聞かれるはずです。「ハイそうです」と答える豪ノ者がいるかどうかはわかりませんが、私の県では、新採職員は農業改良普及センターに回されるケースがほとんどです(学位を持っていても)。しかし、そこで腐っているようではどうしようもありません。地方農試で昆虫の研究を生業とするには、ここからが勝負なのです。過去のコラムに書いてあるように、普及センターの仕事の中でもこれまで学んできた昆虫の知識を生かせる場面は多々あります。さらに、普及員には「調査研究」という業務もあり、害虫関係の調査研究を実施すれば、農試の研究者と連携する機会も多くなります。与えられた現場でベストを尽くす姿勢が大事です。個人的には、大学での研究と地方農試における仕事のギャップを考えると、学生からいきなり地方農試で研究に入るより、数年間普及センター等の現場で揉まれてからの方が、地方農試の強みを生かした地に足が着いた研究が出来ると思います。

最後に

地方農試の一番の強みは、何と言っても同じ組織内に技術の普及機関を持っていることです。普段から普及センターを通して現地との関わりも多いので、農家やJAも「オラが試験場」という意識で見てくれます。その分現地と信頼関係を築きやすく、理解を得られれば研究室レベルで構築した仮説の実証を実際の農家ほ場で大規模に実施することが可能です。それどころか、無償で多大な協力をしてもらえる場合もあります。そのため、地方農試では、独法や大学ではとても出来ない規模の研究も可能です(1区40~100ha、3反復という試験を実施したことがあります)。かつては、地方農試と言えば国(現在の独法)や大学より格下の研究機関というイメージがありましたが、今や、共同研究においても中核となり独法や大学と連携した研究を構築することも可能です。地方農試は厳しいがやりがいのある職場です。タフで粘り強い学生諸君のチャレンジをお待ちしています。

著者: 堤 隆文 (福岡県農業総合試験場)

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