2007年03月27日掲載 【イモムシの唾液?】

以前、TVドラマで竹内結子演じる大学院生が「アブラムシに襲われた植物が匂いを出すと、天敵のテントウムシが植物を助けにくる」というテーマで論文を書いたところ、指導教官が「そんな都合のいい話があるか」と一蹴する......そんな場面がありました。実はそんな都合のいい話が、芋虫と植物と寄生蜂の間に発見されてから、かれこれ10年以上経っています。

この現象の意外さ・面白さから、世界中で研究が展開されており、日本では京都大学生態学研究センターの高林純示博士も精力的に研究を展開されています。今回はこの、"植物-芋虫-寄生蜂"にまつわる研究と、そこに働くある特殊な化学物質volicitinについての私たちの研究を中心にお話します。

一般に芋虫といえば、大量に発生して田畑の作物を台無しにしてしまう、あの悪名高い害虫のイメージが強いようです。しかし長年の研究で、植物もただ食べられるだけでなく、彼らなりに反撃戦略を持っていることがわかってきました。一つは有毒な物質を葉に貯め込むやり方で、タバコのニコチンを筆頭に、タンニン、ポリフェノール、各種アルカロイドなど、植物成分のいくつかがこれに当たります。直接防御と呼ばれています。もう一つは、葉から独特の匂いを出すことで、芋虫の天敵である寄生蜂が芋虫を発見しやすくするという方法です。これは間接防御と呼ばれ、トウモロコシ、ワタやタバコなどで知られています。例えば、芋虫に食べられたトウモロコシの葉からは、甘い花のような香りがします。この匂いの成分をガスクロマトグラフィーで分析すると、青葉アルコール(所謂、みどりの香り)、インドール(甘い香り。但し、濃いと臭い)や各種テルペノイドが見つかりました。寄生蜂がどの成分を識別しているのかはまだわかっていませんが、違う芋虫に食害されると違う組成の匂いが植物から出てくるので、特定の種の芋虫だけを狙っている寄生蜂(スペシャリスト)は、ちゃんとその匂いを嗅ぎ分けている、といわれています。長い進化の歴史の中で、いつから寄生蜂は、こうした匂いが餌の在処と関係していることを発見し適応していったのでしょうか。おそらく、寄生蜂が学習するよりずっと以前に、食害された植物が匂いを出すようになった仕組みがあるはずです。

トウモロコシやワタの葉を揉んだり切ったり、はたまた私たちが囓ってみたところでこの匂いは出ません。しかし、面白いことに、その傷口に特定の芋虫の唾液をつけた時だけ同じような匂いが出てきます。芋虫の唾液なんて、考えたことがありますか。なかなか常人には考えつかないでしょう。ここに注目したのが米国農務省のタムリンソン博士でした。シロイチモジヨトウ幼虫の唾液(幼虫の首根っこをつまむと吐き出す液体)をせっせと集め、その成分の中からトウモロコシに揮発成分を放出させる化合物を発見し、volicitin(ヴォリシチン; volatile [揮発成分] + elicit [引き出す])と名付けました。その後、volicitinをトウモロコシに処理すると、匂い成分であるインドールやテルペンの生合成遺伝子が活性化されることが確認されています。さらに、放射性同位体を用いた最新の研究で、この匂い成分誘導のメカニズムの全貌がわかってきました。幼虫の唾液が葉の傷口に付くと、植物中の特殊なタンパク質が唾液のvolicitinと結合することで食害を"認識"し、そこから二次的にシグナルが植物体中に送り出され、全身で匂い成分の生合成遺伝子が活性化される……そうして傷口だけでなく植物全体から大量の揮発性物質が放出されるわけです。私たち動物が持っている"免疫"システムに負けず劣らず高度な機構を持っていたとは驚きです。太古の昔、植物が寄生蜂と契約を結んだ上でこの精緻なシステムを作り出した…….とは信じられないので、もともとは何か別の理由で匂いを出していたのかもしれません。どの様に、こんなに巧妙な関係が確立されたか、このシステムの起源を探るのは難しいですが、いつかは解き明かしてもらいたい謎の一つです。

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もう一つの謎が、何故芋虫はvolicitinを持っているのか、です。volicitinを持たなければ、寄生蜂に襲われる確率はずっと低かった筈でした。この点についてはまだ世界的にも研究が進んでおらず、ただ単純に、volicitinは幼虫の腸内で消化吸収を助ける界面活性剤として必要だ、程度にしか考えられていませんでした。そんな中で、幼虫腸内の共生微生物がvolicitinを作ってるんじゃないかと提唱したのが、ドイツのボーランド博士でした。これが本当だとすれば三者系は四者系になり、芋虫は一方的な被害者となるところです。ところが、最近の私たちの研究で、被害者どころかむしろ芋虫自身がせっせとvolicitinを作っていることがわかってきました。一体何のために?……それが疑問です。近年、芋虫の栄養代謝メカニズムが明らかになるにつれて、彼らが実に効率よく餌を消化・吸収していて、その秘訣がvolicitinにあるらしい、ということがわかってきました。外観だけではわからないのですが、彼ら芋虫は、いわば腸管が皮を着て歩いていると言っても過言でない、まさに"食のスペシャリスト"なのです。特に農業害虫として有名なハスモンヨトウなどは、一日で体重が5割増し、加速度的にみるみる大きくなっていきます。野菜畑では、卵や小さい幼虫の間に発見できれば農薬で駆除できますが、被害が目に見えるくらいになるともう農薬も効かず、あっという間に畑を食い荒らしてしまうようです。この成長率こそが彼らヨトウムシの最大の武器といえるかもしれません。そしてその基盤となるのが、餌中の養分を無駄なく吸収するシステムで、そこに volicitin が一役買っているというわけです。その様に考えると、volicitin は人間社会では、車に喩えられるかも知れません。寄生蜂にやられるのを交通事故と考えた場合、事故をなくすために車をなくそうという話にならないのと同じで、驚異的な繁栄をもたらす以上、多少の犠牲はやむをえない……と芋虫も考えているのかもしれません。芋虫にとっての、volicitin の役割の解明には、今後の研究が必要です。

自然界ではこのような生物間の生き残りを掛けた驚くべきバトルが、展開されています。その一端をご紹介できたなら幸いです。

著者: 吉永直子・森 直樹(京都大学大学院農学研究科)

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