2008年09月09日掲載 【昆虫を扱う職業: 思わぬ知識が役に立つ!? 現場密着型の農業改良普及員】

「農業改良普及員」という職種をご存じでしょうか。地域の農業が抱える課題を解決し、より良い方向に誘導するべく、農業に関する技術や情報、各種制度や法律をもって現場に出向く技術者です。農業者の相談窓口であり、現場に密着しつつ、都道府県や市町村、農協等の各種団体とも関わりのあるこの業界。もしここに、多少なりとも「虫」との付き合いのある人材が入ったら...?

今回は筆者の体験をもとに、農業改良普及員の業務について紹介します。

普及員とは

この職種は、農業改良助長法という法律のもと、各地区に配置されている技術者です。その歴史は、戦後間もない復興期に遡ります。食料増産が急務とされていた当時、一層の農業振興を図るために、より農産物の収量を上げるための新技術を伝達したり、農家の生活水準を上げるための指導を担う事務所が設置されました。

私がこの職種に就いたときには、担当業務により「農業改良普及員」と「生活改良普及員」に大別されていましたが、今では組織再編や法改正により、呼称や位置づけが各都道府県によって多様化しています。

現在、岩手県では職名を「農業普及員」、事務所名を「農業改良普及センター」と呼んでいますが、比較的年配の農業者には、今でも「普及員」もしくは「普及所」の呼称で通っています。

仕事の内容

図1: ほうれんそうのハウスをみんなで見学
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図2: きゅうり畑で勉強会
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普及員の業務を特徴づけていること、それは「農業者の相談窓口」となることです。

岩手県の場合、普及員は、水稲や畑作物、野菜、花き、果樹、畜産、農業経営、農産加工など、各専門分野を担っています。専門分野に応じて、作物の栽培方法や品種、施肥設計、農薬の使い方といった個々の相談に対応します。作物の生育に異常があった場合、現地へ出向き、異常の原因が天候によるものか、栽培方法に問題がなかったか、病害虫が発生していないか、栽培者と一緒に考えます。同じ異常が広く発生している場合は、他の農業者や関係機関にも情報伝達して注意を喚起します。

多くの農業者に対する研修会も開催します。事務所の会議室に集めた座学もあれば、他地域の優良事例を視察研修することもあります(図1、図2)。内容によっては、法律や試験研究の専門家を講師に招聘します。研修会の準備にあたり、私達は多くの情報を収集し、農業試験場などの研究成果も織り交ぜながら、分かりやすい資料を作成して農業者に伝達するよう心がけています。

図3: 2007年6月8日に降ったひょう
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本当はあって欲しくないのですが、毎年どこかで霜やひょう、大雨、台風などの気象災害が起こります(図3)。農作物の被害が発生すると、普及員の業務は多忙を極めます。平成5年の大冷害では、普及員総出で水稲の被害調査を行いました。

このように、私達の仕事は多岐にわたっていますが、いずれも農業者の経営改善と生活向上につなげることをねらいとしています。そして、良い事例が生まれて他の農業者にも波及し、農業によって地域全体が元気になること、これが私達の目標なのです。たとえたくさんの農産物を生産しても、それがお金にならないと農業者は生活できません。農業者が持っている土地や機械、家族人数、販売先、さらに地域の気候や立地条件なども考慮して、より収入の得られる品目や生産方法を勧めています。

これで普及員の仕事がイメージできたでしょうか。

仕事と虫との関わり

ここまでお読みの方は、「何だ、普及員という職種は、虫と関係ないじゃないか」と思われるかも知れません。実はそうなんです。私達の相手は農業者であって、虫そのものではありません。でも、農業の現場に関わる以上は、全く虫を見ないわけではありません。農作物には、必ずと言ってよいほど害虫の問題が発生します。

「この虫は何か?」この手の問い合わせには、ある程度昆虫に関わっていた経験が強みになります。一般的には、まず農作物の病害虫図鑑を検索します。最近はインターネットの検索もできて便利になりましたが、それで全て解決するわけではありません。経験豊かな農業者が尋ねるくらいですから、病害虫図鑑にも載っていない事例も多々あります。

あるときは、ウリハムシモドキが畑に多発して、各種野菜を食害しました。畑にクローバーの生えた草地が隣接して発生源となり、成虫が野菜畑に移動したようです。

図4: タネバエ幼虫に加害されたレタス
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あるときは、レタスを食害するウジ虫が見つかりました。室内飼育により、正体はタネバエと分かりました。有機物の多い肥料や外葉の枯れた部分の臭いが成虫を誘引し、産卵したのでしょうか、育った幼虫がレタスの柔らかい葉まで食べていたようです(図4)。

秋も深まる頃、「地べたにたくさんの毛虫みたいなものが塊になっている!」という電話がきたときには、「ケバエ類の幼虫だな」と見当がつきました。特に害虫とはならないものは相手にも説明し、神経質になって殺虫剤を散布しなくても良いことを理解していただきます。

図5: ほうれんそうに対するトビムシの加害
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その一方で、意外なものが「害虫」となることに驚かされます。

土壌中の有機物を分解するトビムシ類が、ときにはほうれんそうの葉をかじって穴をあけてしまうなんて(図5)!

肉食性の強いゴミムシの類が、ときにはチンゲンサイや大根を食害するなんて!

こうした事例と対面するたびに、「害虫ではない虫だからほっといても大丈夫」と簡単に言ってはいけないと思い知らされます。

私達が現場で確認した事例は、必要な場合は、試験研究機関や病害虫防除所などの他機関にも情報提供しています。普及センターからの情報が、研究機関が新たな研究テーマに取り組むきっかけになったり、既に取り組んでいる研究テーマの成果につながることもあるのです。現場に密着してこその強みです。

虫を通じた人との関わり

前述のような相談対応は、本来業務のうちのほんの一部です。害虫でもない虫の相談依頼は、農業者にとっても雑談程度の認識ということもあります。

しかし、人と人とのつきあいでは、雑談ができることも重要です。誰でもそうですが、日常の疑問や悩みは、まずは信頼できる身近な人に相談するものです。私達普及員が日常の相談役として農業者に認識されると、農業者がどんなことで困っているか、本音を語ってくれます。私達も、課題解決のためにはどんな支援が必要か、共に考えることができます。そのような信頼関係を築くためのきっかけ、そのひとつが私にとっての虫談義だったりするのです。

今年のトピック

図6: マイマイガ大発生
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2007年8月、岩手県北部では、人家の明かりや街灯に無数のガが飛来して、人々を驚かせました(図6)。

翌2008年には、周辺の山々で毛虫が大発生し、樹木の葉が相当食い尽くされて、遠目でも山林全体が赤茶けて見えました。当然、当事務所にも問い合わせが相次ぎました。実際に、山林に隣接した田畑には幼虫が侵入し、農作物への被害も懸念されたのです。多くの人は効果的な防除対策を知りたかったのでしょうが、広大な山林で大発生した毛虫です。簡単に退治する方法などありません(農薬取締法の規制もあり、農薬の使用自体も制限があります)。

大発生したのは、マイマイガとカシワマイマイです。

「マイマイガは年1回の発生で、今年産まれた卵塊は越冬して来春孵化する。幼虫の餌は各種樹木類の葉で、農作物では果樹類以外の被害事例はあまり報告がない。過去にも全国各地で大発生を繰り返しているが、大発生後には病原菌や寄生昆虫などの天敵も増加するので、大体1~2年後には終息している。」私は機会ある毎に、マイマイガの基本情報を説明しました(いつの間にか、職場では私が虫関係の相談窓口でした)。

すると、多くの人々がガや毛虫の襲来を迷惑がってはいるものの、何という名前なのか、どのような生態の虫なのか、興味深く聞いていました。虫が嫌いだという人も、面白がって聞いているようです。

幸い、農作物ではイネやコムギの葉が食害されたものの、被害は問題になりませんでした(実際、マイマイガ類の幼虫は、野菜の葉などはほとんど食べませんでした)。補足しますと、商店街では期間限定で街灯を消す作戦が効を奏して、人家への飛来は昨年より抑制されたようです。

余談ですが、その後、ある新聞社からオオツノトンボについて問い合わせの電話がありました。マイマイガの件以来、「虫の問い合わせは普及センターへ」と誤解されたのでしょうか。完全に本来業務でありませんが、担当が違うからと言って門前払いはしません。私自身の目撃事例や分かっている情報を説明した後、県内の博物館を紹介し、全県的な情報を聞いてみるようおすすめしました。

これからの仕事のあり方

ピーマンを栽培している農業者の畑を訪ねたときです。

その畑はアブラムシが発生していました。アブラムシの甘露を求めてアリがピーマンの枝を徘徊しています。「テントウムシも来てアブラムシを食べるんだ」とその人は言いました。私はテントウムシの代わりに、ヒラタアブの幼虫を見つけました。それを教えたところ、大変興味深そうに眺めていました。有機栽培でも減農薬栽培でもない、普通の農業者が天敵昆虫に興味を持っていたのは少々意外でした。

捕食者が自然発生するほどアブラムシが多発するのは望ましいことではないので、本来なら「もっと早くアブラムシ防除しましょう」と言うところです(農作物にウイルス病を媒介されると、虫自体の吸汁加害より被害が深刻になります)。天敵の出現を楽しみにしているような人には、農薬散布をすすめるかわりに、害虫とは別次元の虫談義を提供した方が喜ばれそうです。

また、県の出先機関の中には、川の水質調査の一環で水生昆虫を調査したり、ホタルの観察会を行ったりする事例があります。今は限られた地域で実行されていますが、もしこの動きが大規模になってくれば、県全体で組織を超えたチームを組んで、新たな分野で仕事を連携できるかも知れません。

普及員になるためには

以前は各都道府県の採用試験とは別に、普及員になるための専門試験がありました。今では都道府県採用前ではなく、普及センター等の農業関係部所に配属されて、一定期間の経験を積んでから受験するしくみとなりました。

普及員として配属されるかどうかは、都道府県によって事情が異なります。農業分野で受験した場合、二次試験では面接もありますから、そのとき「普及員になりたい」と意思表示を明らかにしてもよいでしょう。

ただし、都道府県の職員には転勤もつきものです。岩手県の場合、行政機関や試験研究機関などへの異動も多いので、定年までずっと普及員を続けられる人はほとんどいません。けれども、いろいろな部所での経験が業務上役立つことがあります。もし希望に反して普及センターに配属されなくても、転勤で普及センターを一時離れたとしても、決して悲観することはありません。分野が異なっても、何か人のために役立つ仕事をしようとする姿勢もまた大事なのです。

私の場合、前の職場が農業研究センターでしたが、このとき他の研究機関や昆虫関係者とたくさん交流できたことや、6年間の研究経験で得た(多少の)スキルが自分にとっての収穫でした。そのとき入会を勧められたのが、この応用動物昆虫学会です。今では仕事で大会に参加する機会もなくなりましたが、毎回送付される会誌に知人の名前を見つけるのが楽しみで、今でも会費を納めています。

著者: 後藤純子 (二戸農業改良普及センター)

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