2007年11月01日掲載 【蛾の「雄らしさ」を作るZ染色体】

カイコをはじめとする蛾や蝶の類は、n=30種類ほどの染色体を持っており、そのうち1つがZ染色体です。Z染色体は、雄では細胞あたり2本、雌では1本存在します。このZ染色体の上に存在する遺伝子は、他の染色体(常染色体)とは異なり、神経や筋肉で働く遺伝子が多いことが分かっています。蛾類の行動は雌雄で大きく異なっていますが、その性差にはZ染色体の機能が関与している可能性があります。

昆虫は、私たちヒトと同じように雌雄異体であり、雌と雄が別々の個体として分化しています。昆虫の雌雄は、遺伝子のみで決定されます。多くの昆虫は、性染色体を持っており、そこに性決定で重要な役割を果たす遺伝子が存在しています。昆虫の性染色体は、雌XX-雄XY、雌XX-雄XO、雌ZW-雄ZZ、雌ZO-雄ZZの4通りの型があります。

多くの蛾類がそうであるように、カイコの性染色体構成は、雌ZW-雄ZZです。雌のカイコのみが有するW染色体上には、雌を決定する重要な遺伝子Femが存在します。しかし、W染色体には、Fem以外の機能遺伝子はまだ一つも知られていません。一方、Z染色体は細胞当たり雌で1本、雄では2本存在します。カイコのゲノム(染色体数n=28)には約20,000個のタンパク質コード遺伝子が存在していると言われていますが、そのうちZ染色体には約700個の遺伝子が座乗しています。

雌XX-雄XY型および雌XX-雄XO型の性染色体をもつ動物では、X染色体において「遺伝子量補正」という現象が起きることが知られています。たとえば、キイロショウジョウバエでは雌の細胞にはX染色体が2本ありますが、雄には1本しかありません。そのX染色体には2450個の遺伝子がありますが、個々の遺伝子がそのまま機能を発現すると、どの遺伝子でも雌のほうが2倍の量の働きが現れることになります。しかし、実際には雄のX染色体上にはMSL複合体と呼ばれる雄特異的な装置が出現し、その結果X染色体の立体構造が変化して遺伝子1個あたりの働きが倍増し、結果的に細胞当たり雌と同等の遺伝子産物が生じます。これは遺伝子量補正の典型的な例です。

カイコに遺伝子量補正が存在するか否か、古くから議論になってきました。私たちの研究室は、Z染色体上の多数の遺伝子に由来するメッセンジャーRNA(mRNA)を正確に定量することにより、遺伝子量補正が行われていないことを示しました。Z染色体上の約700個の遺伝子のうち、一部の遺伝子では細胞当たりの雌雄の働きがほぼ等しくなっていますが、多くの遺伝子では雄のもつ2個の遺伝子がそのまま発現し、2倍のmRNA量を生じています。なぜ、カイコには遺伝子量補正が無いのでしょうか。

ショウジョウバエの遺伝子量補正には、5種類のタンパク質と2種類の非コードRNAが構成する複合体が必要です。しかし、それらをコードする7個の遺伝子のうち、カイコに対応する遺伝子があるのは3個だけです。これではショウジョウバエと同じような機構でZ染色体の量補正を実行することは困難でしょう。

図1: Z染色体38.7に座位するVg遺伝子のヘテロ接合の雄成虫(左と下)。正常(右上)に比べて翅の形成が顕著に阻害されている。
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一般的に、遺伝子は各染色体に偏りなく分布しています。カイコでも性染色体以外の染色体(常染色体)を相互に比較しても、遺伝子の機能に関わる特徴はほとんどありません。しかし、Z染色体だけに関しては、明らかに特別な機能をもつ遺伝子が多く存在しています。特に神経や筋肉の機能に関わる遺伝子が多く存在します。

たとえば成虫の翅を動かす筋肉である間接飛翔筋の構成成分です。ショウジョウバエでは、24種類のタンパク質が間接飛翔筋の筋繊維を構成していますが、それらに相当するカイコのタンパク質のうち1/3に相当する8個はZ染色体の遺伝子にコードされています。また、概日時計の構成要素の遺伝子も同様です。昆虫の概日時計は主として4個の遺伝子がフィードバックループを構成して24時間の生体リズムを作り出しています。その4個の遺伝子のうち、3個がカイコではZ染色体に座乗しています。カイコをはじめとする蛾類では、通常、雄成虫の行動が雌よりも活発です。雌はフェロモンを使って雄をおびき寄せることによって、無駄に行動してエネルギーを消耗することなく生殖に成功します。雄は必死に雌を探索して飛び回るため、飛翔などの行動に関する能力が優れています。また、雄は雌よりも早い時刻に羽化する場合が多いのですが、このような概日リズムのズレは、羽化当日から交尾能力を持つ蛾類にとっては、雄が雌を獲得するために有利に働くと考えられます。また、カイコの雌性フェロモンであるボンビコールの受容体は、雄の触角でのみ発現しますが、これをコードする遺伝子はZ染色体に乗っていることが知られています。これら成虫の行動に関わる遺伝子がZ染色体上に存在することは、それら遺伝子が雌よりも雄で多く発現している理由のひとつだと思われます。

蛾類は、飛翔に関わる遺伝子や時計を支配する遺伝子など、雄で多く発現することが望ましい遺伝子をZ染色体に集め、かつ遺伝子量補正を放棄することによって、Z染色体は雄の機能を支える染色体としての役割を果たすように進化してきたのではないか、と私たちは考えています。太古の昔、Z染色体の祖先の染色体には、常染色体と同じような遺伝子が乗っていたでしょう。ひとたびZ染色体が性染色体へ分化しはじめると、多くの遺伝子が雌雄の量的差異を嫌って常染色体へ転座してゆき、同時に、雄で多く発現することが望ましい遺伝子が、常染色体から少しずつZ染色体へ移ってきた。私たちは今その進化の結果をカイコのZ染色体に見ているのではないかと思っています。

図2: Z染色体49.6に座位するod遺伝子のホモ接合の幼虫(上)。皮膚に尿酸が蓄積できないため透明に見える。私たちはすでに原因遺伝子の候補を発見した。
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カイコには100年を超える遺伝学の歴史があり、多くの突然変異が発見されています。Z染色体には、行動や翅形成に関わる突然変異形質がいくつかマッピングされています。たとえば、幼虫の筋力が低下しかつ成虫のフェロモン応答が弱くなるspliという変異があります。最近、私たちは変異体を利用してspliの候補遺伝子をクローニングしました。また、翅の形成が不完全になる痕跡翅(Vg)の原因が、Z染色体の部分欠損であることを明らかにしました。Z染色体には、他にも休眠性を支配するLmや食性の変異の原因になるBtなど、昆虫の高次機能に関わる興味深い形質遺伝子が多く座乗しています。これらの遺伝子をクローニングし、その分子機能を明らかにすることができれば、雄と雌におけるZ染色体の役割がさらに明確になると考えています。

著者: 嶋田 透・藤井 告 (東京大学大学院農学生命科学研究科 昆虫遺伝研究室)

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