2015年09月09日掲載 【キイロショウジョウバエの求愛行動に見る“氏と育ち”】
「行動はどこまで自由か」とは、よく耳にする問いである。これは、我々人間の行動のどこまでが遺伝的に決まり、どこからが環境要因によって決定されるのか、という問いかけである。一方、まるごと遺伝的に決まっていると思われている昆虫の行動ですら、遺伝的素因と個体の経験で形づくられるということが分かってきた。
本能行動としての求愛
私は過去30年足らずの間、キイロショウジョウバエの性行動(図1)を支える遺伝子とニューロンの研究を行ってきた。その動機は、昆虫の種分化の基盤には行動の多様化があるのではないか、ならばその仕組みを突き止めたい、ということであった。そもそも自分が虫屋のため、野外での虫の行状から直感的な同所的種分化への信仰があり、この信仰を科学にかえようという野心的、というか野蛮というか、そんな着想なのである。そこには行動の多様性が遺伝的に規定されているという前提がある。しかし実際のところ、行動、特に性行動を規定する遺伝子とはいったいどんなものなのか、1970年代にはまるで不明であった。それどころか、行動は遺伝するのか、などと訳のわからない論議が平気でなされる時代だったのである。そんな中、カリフォルニア工科大学のSeymour Benzerのグループは、キイロショウジョウバエに突然変異誘発を行って、サーカディアンリズムが異常になるperiod突然変異体や記憶障害のdunce突然変異体などを分離して、単一遺伝子突然変異によって目の覚めるような行動異常が生じることを報告していった(解説として、山元 2012)。これらの突然変異体を突破口として、1980年代にはこうした行動を支える分子たちの実像が、遺伝子クローニングによって明らかにされていった。このアプローチをとれば、性行動を作り出す遺伝子たちも分かるはずだと考えた私は、遅ればせながら1988年からキイロショウジョウバエでの変異誘発を開始し、2年と経たぬうちに7つの性行動異常突然変異体の分離に成功した(本題には関係ないが、1988年まで、私は電気生理をやっており、初めての学会発表は1970年代半ばの応動昆だった)。こうして分離した突然変異体の中で一際目を引いたのはsatoriと命名したもので、当初、雄と雌のペアで行動アッセイをした際に、雄が雌にまるで求愛せず交尾もしなかったため、この名を与えた変異体である。しかしその後、satoriの雄が他の雄個体に対しては求愛することが判明する。satori変異体の雄を同じ容器に複数入れておくと、互いに求愛しあって行列(courtship chain)ができる。結局satoriは、遺伝子の機能喪失によって同性愛化した変異体であった。同性愛行動の遺伝子成因説、を強く支持する結果に思われた。
性指向性を左右する遺伝子の実体
その後、satori変異原因遺伝子、fruitless(fru)のクローニングに成功し、性決定カスケードの末端に位置する転写因子遺伝子であることが分かった。1996年のことである。我々はこの結果を9月発行のProceedings of National Academy of Sciences of USAに発表した(Ito et al. 1996)が、3か月後、米国の4研究室連合軍は彼らのfruクローニングpaperを雑誌CELLに掲載し(Ryner et al. 1996)、辛くも先取権をこちらが得た。Fruタンパク質の具体的機能については長らく不明であった。2012年、我々のグループの伊藤弘樹ら(2012)は、Fruタンパク質が転写補助因子のBonus(TIF1)と複合体を形成してゲノムの約100ヶ所の標的部位に結合し、クロマチン制御因子のHDAC1(ヒストン脱アセチル化酵素)やHP1a(ヘテロクロマチンタンパク質1a)をその部位に動員することを雑誌CELLにて発表した。HDAC1を呼び込むとニューロンの雄化が促進され、HP1aを呼び込むと雄化が抑制される。その後Stephen Goodwinら(2014)は、DamID法によって、Fru結合コンセンサス配列を推定し、いくつかの標的遺伝子候補を示唆している。このように、Fruはゲノムのクロマチン構造修飾を介して転写パターンを切り替えることで、ニューロンの雄化・雌化を支配する。
fru遺伝子座のうち性に関わる転写単位はalternative splicingによって雄でのみ翻訳可能な転写物を生成する。そのため、Fruタンパク質は雄の神経系だけに生じる。これは我々と米国のJeff Hallらによって独立に2000年に報じられた(Usui-Aoki et al. 2000; Lee et al. 2000)。次のヒットは、オーストリアの伏兵、Barry Dickson(Demir et al. 2005; Stockinger et al. 2005)によって齎される。彼らは、ノックイン技術によって雌でも雄型のsplicingが起きるfru変異体を作出した。この雌は雄型の求愛行動を示して他の雌に求愛するのである。この結果は、Fruタンパク質を雌に生じさせればそれだけで行動が雄に性転換することを示すものと解釈されて、Dicksonをして「Fruは求愛行動回路のマスターレギュレータである」と言わしめた。
ニューロンの性差と求愛意志決定中枢の発見
一方我々は、北海道教育大学の木村賢一を中心に、脳内fru発現ニューロンの網羅的同定を進め、約2000個の発現ニューロンの一部が性特異的に存在し、また性的二型を示す(図2)ことを明らかにした(Kimura et al. 2005)。この結果は単一同定ニューロンレベルで明確に性差を提示した初めての例としてNatureに載り、掲載号の表紙を飾った。我々はさらに、脳の数十個(1個も可能)の細胞のみを雄に性転換したモザイク雌を多数作成してその行動を調べ、P1と名付けた雄特異的介在ニューロン群(片半球20個からなる)が雌の脳内に異所的に形成された時に、この雌が雄型の行動をして他の雌に求愛することを示した(Kimura et al. 2008)。こうして、雄の求愛意志決定ニューロンが特定されたのである。このP1介在ニューロンが雄にしか存在しないのは、雌では発生途上で細胞死により除去されるからである。この細胞死はP1が発現するもう一つの性決定転写因子、Doublesex(Dsx)の雌型産物(DsxF)の仕業である。つまりは、Fruだけが求愛行動回路のマスターレギュレータとして君臨しているわけではないのである。P1ニューロンを雄で人工的に活性化させると、だれもいない容器の中で哀れなその雄は必死に求愛を繰り返すのだった(Kohatsu et al. 2011)。
フェロモンと動く視覚刺激の組み合わせが雄の求愛を解発する
我々のグループの古波津創は、行動中の雄の脳からニューロンの活動を記録すべく、拘束雄システムを考案した(Kohatsu et al. 2011)。拘束雄システムでは、雄は背板で金属針に固定され、脚には発泡スチロール球をあてがわれていて、この上を自由に歩くことができる。実際には球が回転するだけなので、雄の位置は一定である。この拘束雄の目前に雌の腹部を持っていき左右に動かしても雄は反応しないが、初めに雄の前脚で雌の腹部を触らせて(前肢のフェロモン受容器を刺激する)から同じ操作をしたときには、雄は直ちに雌を追跡して求愛する。つまり、化学受容によりフェロモンを感知することが求愛の開始を惹き起こし、雌の腹の動きが求愛を継続させる。古波津はさらにCa2+ imagingを行って、P1ニューロンがフェロモン入力に応答して興奮することを示すことに成功した。
fru変異体雄同士の求愛は社会生活の結果か
2014年、米国のBruce Bakerたち(Pan and Baker 2014)はfru変異体雄を羽化後から隔離して育てると、その後仲間と一緒にしても同性愛のcourtship chainをほとんど形成しないことを報じた。この観察のもとになっているのは、fru変異体雄のcourtship chain形成が、集団飼育後の日数が経つほど顕著になるというJeff Hallらの1997年の報告(Villella et al. 1997)であった。私自身、courtship chainの“時間依存性”に勘付いてはいたものの、それまでさして気に留めずに過ごしてきたので、Bakerたちの論文を目にして、「これはやられた!」とショックを受けた。Bakerたちの言う通りであるとすると、これまで同性愛の遺伝子成因説の証拠とみなしてきたfru変異体雄の行動が、実は社会経験を必要とするものだ、ということになり、後天的な要因の役割が問われる。
仮想現実の求愛行動実験
そこで我々は、より精密に刺激と応答の関係を調べるべく、拘束雄システムをさらに“純化”したバーチャルリアリティ実験系(図3)を構築した(Kohatsu and Yamamoto 2015)。この系では、“動く生身の雌”(求愛継続の刺激)の代わりに、コンピュータスクリーンに映し出される映像がダミーの視覚刺激として用いられる。一方、雌に触ってフェロモンを感知する(求愛開始の鍵刺激)代わりとして、脳のP1ニューロン(この実験ではdsx発現ニューロン群を操作しているため、正確にはdsx発現ニューロンに対する呼称であるpC1としている。fru発現ニューロンのP1はdsx発現ニューロンのpC1のsubpopulationである)をチャンネルロドプシンにより直接刺激する。野生型の拘束雄は、P1の刺激だけ、あるいはダミーを見ただけでは、特段反応を示さない。しかし、この両者を同時に与えると、ダミーに対して継続的に求愛する。驚くべきことに、求愛が一旦開始されれば、ダミーの視覚刺激は単なる光る点の動きで十分であった。集団で飼ったfru変異体雄では、なんとP1ニューロンなしで、ダミーの動く光点を見ただけで求愛が惹起された。ところが羽化した後単独で飼育したfru変異体雄は、この“視覚刺激に対する非特異的求愛”をほとんど示さないのである。こうして、fru変異体雄が示す集団生活依存的な同性間求愛に相同な経験依存的求愛を、バーチャルリアリティ実験系で再現することに成功した。さらにこの系で、P1を含む脳のニューロンからCa2+ imagingによる活動記録を行い、集団生活をしたfru変異体雄だけが動く光点に対して興奮性神経応答を示すことが判明したのである。この結果から、fru変異体雄に見られる経験依存的な雄同士の求愛は、P1ニューロンの過剰な視覚反応性によって引き起こされると考えられる。おそらく正常な雄では、視覚刺激に対する過敏な反応を長期的に抑制する仕組みが羽化後に作動し、その後不適切な視覚刺激(ほかの雄個体や動く光点)に対して求愛行動を惹起することのないように制御されているのであろう。fru変異体ではこの仕組みが破綻したため、同性間求愛が生じると想像される。
こうしてsatori変異体が分離されてから30年近くが経過した今、その顕著な同性間求愛行動が遺伝的素因と環境要因との相互作用によって生み出されることが明らかになったわけである。今後は、fru変異体という優れた実験系を利用して、行動を規定する氏と育ちの相互関係を具体的な分子・細胞機構として解明してゆきたい。
参考文献
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