2015年09月04日掲載 【脳の中の体内時計 ~キイロショウジョウバエの研究より~】

多くの生物は約24時間を測る体内時計(概日時計)をもっています。概日時計は一日の周期で変化する地球環境に適応するために、生物が進化の過程で獲得した生物時計です。例えば睡眠覚醒などの行動リズムは概日時計でコントロールされています。では、概日時計は体の中のどこにあるのでしょうか? このコラムでは最も研究が進んでいるキイロショウジョウバエの概日時計について紹介していきます。

概日時計のミュータント

遺伝学の世界では、キイロショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)は非常に有用な動物です。生活環の短さ、多産であること、染色体数の少なさ、飼育の容易さなど、遺伝子の研究をする上でショウジョウバエには利点がたくさんあります。そこで、セイモア・ベンザーら(米国)はショウジョウバエを使って、概日時計に関わる突然変異体(ミュータント)を探す研究を1960年代に始めました。最終的に、彼らはperiodと名付けられた遺伝子に突然変異が起こると、通常約24時間の行動リズムが、無くなってしまったり、19時間になってしまったり、28時間になってしまうことを明らかにしました。これは世界で初めて、概日時計に関わるミュータントの発見になりました。

period遺伝子はどこで発現?

遺伝子は体の特定の組織で発現しています。例えば、眼をつくる遺伝子は、眼で発現するようなものです。つまり、period遺伝子がどこで発現しているかを調べることで、体の中のどの細胞が概日時計の本体なのかを知ることができます。体の中に時計があって、その場所が特定できるということはさぞかしワクワクする研究だったことでしょう。しかし、この1980年代~90年代初めの研究で分かったことは、period遺伝子は体の至る所で発現しているということでした。これはちょっと残念でした。しかし、ゴキブリやコオロギなどの昆虫や脊椎動物では、外科的手術によって脳のある一部を切除すると、行動リズムが無くなることが報告されていました。したがって、ショウジョウバエではperiod遺伝子が発現している脳の細胞のどこかが時計であろうと予想されました。

行動リズムに関係する脳の時計細胞

図1

図1: キイロショウジョウバエの脳にある時計細胞群
右) 脳の中には約150個(半球で約75個)の「時計細胞」とよばれるperiod発現神経細胞が存在する。これまでの研究で、それぞれの細胞群は機能分化し、別々の役割をもつことが明らかになってきた。
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1990年代中盤以降、 脳の中の「時計細胞」を特定するための研究報告が少しずつ出てきました。period遺伝子は、脳内で約150個程度の神経細胞で発現しているのですが、その中の一部の細胞群がない突然変異体では行動リズムがなくなることが明らかにされたのです。その細胞では、Pigment-dispersing factor (PDF)とよばれる神経伝達物質が発現していました。つまり、PDFを発現する脳の細胞が時計細胞であり、PDFは時間情報を運ぶ物質であると考えられます。このPDFを発現する細胞は二種類あり、s-LNvとl-LNvとよばれている計16個の神経細胞です(図1)。150個のperiod発現細胞のうち、16個が重要な時計細胞ということになります。

朝方の時計細胞と夕方の時計細胞

では、残りの134個のperiod発現細胞はなにをしているのでしょうか? 実は、PDF細胞がないとリズムがなくなると上で述べましたが、それはすべての個体でそうなったわけではなかったのです。2~3割程度の個体では、依然として弱いながらもリズムが見られていました。つまり、16個のPDF時計細胞は、重要ではあるが、それがすべてではないことが分かります。2000年に入って、さらにキイロショウジョウバエにおける研究が加速します。その中で見えてきた1つの説が、朝方と夕方の行動リズムは、別々の時計細胞で制御されるというものです。ショウジョウバエは、朝方と夕方に活発に活動し、昼間と夜はあまり動きません。PDF時計細胞を失ったショウジョウバエでは、朝方の活動が非常に弱くなります。また別の時計細胞群である5th s-LNv細胞とLNd細胞を失ったショウジョウバエでは、夕方の活動が弱くなりました。そこで、この研究に携わった研究者らは、PDF時計細胞は朝方時計細胞で、5th s-LNv細胞とLNd細胞は夕方時計細胞であると提案しました。これらの研究は2004年から数年間重点的に研究が行なわれました。この説を否定する研究結果もあり、今後どうなるか分からないのですが、全体として大きな間違いではないと考えられています。

光の時計と温度の時計と社会の時計

150個のperiodを発現する脳神経細胞に対して、私を含めた数人の研究者らが別の視点から研究を進めました。まず、私や富岡憲治教授(岡山大学)らは、光に強く応答する時計細胞と温度に強く応答する時計細胞を同定しました。光に強く応答する時計細胞はPDF時計細胞、5th s-LNv細胞、LNd細胞など朝と夕方の時計細胞でしたが、温度に強く応答する時計細胞は、DN2やLPNといったあまり研究がされていない細胞群でした。概日時計は、外界の光や温度の情報を入力し、環境に合わせた時刻合わせを行います。その際に、光専用の時計細胞と温度専用の時計細胞にそれぞれ分業させることで、複数の環境情報の入力を行っているのかもしれません。

また同様に、私たちは、オスの一部のDN1細胞群がメスのリズムに影響を受けることを明らかにしました。行動リズムとの相関はまだ明らかになっていないのですが、一部のDN1細胞は、社会の変化に対して応答する特別な時計細胞群の可能性があります。

時差ぼけを直す時計細胞

ショウジョウバエの概日時計は、光によって強くリセットされることが知られていました。つまり、私たち人間とは違い、ハエはほとんど時差ぼけがありません。数時間の時差を経験させても、ほぼ一日でその環境に適応します。私たちの最近の研究によって、5th s-LNv細胞とLNd細胞はショウジョウバエの時差ぼけ回復に重要な細胞であることがわかりました。つまり、光に強く応答する時計細胞の中は、さらに分業化されているということです。私たちは、5th s-LNv細胞とLNd細胞は、光への同調において、独裁的な役割を担っていると考えています。様々な環境変化に適応するために、たくさんの時計細胞をもちながら、最終的には少数の細胞によって全体の時間が決定されるのかもしれません。私たちの民主主義的な政治システムと似ているのでしょうか。

おわりに

period遺伝子の発見からすでに40年が以上経ちました。その間、多くのショウジョウバエ研究者の努力により、体内時計の神経回路が見えてきました。現在では150個のperiodを発現する脳の神経細胞のそれぞれを「時計細胞」とよんでいます。すべての細胞の役割が明らかになっているわけではありませんが、次々と新しいことが見つかっています。このように一細胞レベルで概日時計機構を説明できる動物は、キイロショウジョウバエだけです。ショウジョウバエで明らかになったことが、すべての動物種に当てはまるとは限りません。しかし、ショウジョウバエで明らかになった知見は、他の動物種での研究に大きく影響を与えています。これこそが、キイロショウジョウバエ研究の醍醐味であると言えます。

参考文献

著者: 吉井大志 (岡山大学・大学院自然科学研究科)

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