2013年12月23日掲載 【「生物を生きたまま電子顕微鏡で高解像度観察する」~昆虫が分泌する物質を規範とした"防護服"ナノスーツの開発~】

生物表面の微細構造の観察/解析には、走査型電子顕微鏡が有効な機器として用いられて来ました。しかし、高倍率・高分解能で表面微細構造を観察できる電界放出型走査電子顕微鏡(FE-SEM)では、試料を高真空環境(10-5~10-7Pa)に曝さなかえればならないので、生物が含む水分やガスなどが奪われて微細構造がたやすく変形してしまいます。そのため生物試料に様々な化学的前処理を施した後に予備乾燥したり、あるいは真空度を10-2Pa程度に下げた低真空SEMを用いるなど機器側の開発も行われたりしてきましたが、前者は微細構造が崩れ、後者は解像度が下がってしまうなどの問題が生じます。生物という濡れた試料を高倍率・高分解能観察することは困難で、ましてや生きたままの生物の観察は不可能だと考えられてきました。著者らは、その固定概念を払拭し生物がもつ真空耐性を増強する技術を検討し、虫(ショウジョウバエなど)の幼虫が体表にもつ粘性物質に、電子線またはプラズマ照射することで得られるナノ薄膜が、超高真空下でも体内の水分やガスの放出を抑制する表面保護効果を生みだすことを見いだし、生きたままのFE-SEM観察に適応することに成功しました(Takaku et al, 2013)。

ナノスーツの発見と応用

図1

図1: 電子線およびプラズマ照射なしでFE-SEM内に1時間放置したショウジョウバエの幼虫(a)と、その体表最外層の超薄切断面TEM像(b)。プラズマ照射による前処理を行った幼虫は、1時間経っても体積収縮を起こさずに高真空中で活発に動いている(c)。このとき体表最外層には、薄膜(ナノスーツ)が形成されている(d: 矢頭間)。
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著者らはまず、さまざまな生物をFE-SEMでそのまま観察しました(下手をするとSEMを壊してしまう恐れがありますので、十分な技術的管理が必要です)。その結果、ほとんどの生物は高真空環境に曝されることで死に至り、その表面構造は、体積収縮により変形していました。しかし、粘性をもつ細胞外物質(ECS)を個体の最外層にもつ一部の生物(ショウジョウバエなどの幼虫)は、電子顕微鏡の中で1時間経っても活発に動き、体積収縮の無い極微細構造を観察することが出来ました。さらに、観察を終えた生物を電子顕微鏡から取りだして飼育を続けると成虫になりました。ところが、同じFE-SEM内で、電子線照射なしで1時間放置した後に電子顕微鏡観察すると、ショウジョウバエの幼虫は体積収縮により変形し、取り出してみると死亡していました。これらの結果から、ECSと電子線照射との相互作用に、高真空下で生命を維持する重大なポイントがあると考えられました。

生命維持されている幼虫表面の構造的な特徴を見つけるため、FE-SEM観察前後の体表最外層の超薄切断面を作成し透過型電子顕微鏡(TEM)で観察すると、電子線照射後の幼虫には50~100nmの薄膜が形成されていました。しかし、電子線照射なしで1時間放置した個体の超薄切断面には、最外層の薄膜は観察されませんでした。この結果から、FE-SEM観察時の電子線照射により、幼虫の最外層にナノスケールの薄膜が形成され、それが高真空下での気体や液体の放出を抑制している可能性が強く示唆されました。おそらくこの薄膜形成は、電子線のエネルギー照射による重合(電子線重合)だろうと考え、電子線重合と同じように高エネルギーを照射し物質の重合をすることができるプラズマを、電子顕微鏡観察の前に照射して同様の実験操作を行うと、電子線照射の場合と同じ結果が得られ、電子線重合でもプラズマ重合でも生命を維持薄膜の形成を行うことができることがわかりました(図1)。つまり、幼虫の最外層にあるECSに、電子線またはプラズマ照射するという簡便な操作で体内の物質の放出を抑制できるナノ薄膜を形成し、高真空下でのFE-SEM観察を実現できたのです。著者らは、全身を覆って生物を保護するこの革新的な薄膜構造を「ナノスーツ」と名付けました。

図2

図2: プラズマ照射による前処理を行っても、ボウフラはFE?SEM内で体積収縮を起こして死んでしまう(a)。体表に薄膜構造は見られない(b)。一方、Tween20をごく薄く塗布した後、プラズマ照射による前処理を行ったボウフラは、30分後も体積収縮を起こさずに高真空中で活発に動いている(c)。このとき体表最外層にはナノスーツが形成されている(d: 矢頭間)。
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次に、ECSをもたない生物に対して同等の機能の発現を試みました。例えばボウフラは、体表にECSが潤沢に分泌されていないので、直接FE-SEM観察すると収縮による変形が起こって死んでしまいます。著者らは、ショウジョウバエ幼虫のECSの成分分析を行い、類似した化学官能基をもつ溶剤の中から、生体適合性という観点から、食品添加物にも指定されている界面活性剤(Tween20)をECS疑似物質として選択しました。Tween20がECSの代替と成りうるのか?果たして結果は上出来でした。ボウフラ個体にTween20をごく薄く塗布しFE-SEMで観察すると、高真空下でも活動し、収縮がなく微細構造を観察できました。観察後、ボウフラ体表のTEM観察を行うと、Tween20で被覆した試料にはショウジョウバエの幼虫と同様に、最外層に50-100nmの薄膜が形成されていました。このような結果から、Tween20でも、ショウジョウバエの幼虫と同様に電子線またはプラズマ照射により、物質の放出を抑制できるナノスーツが形成され、FE?SEM観察により生きた状態の微細構造を観察できることがわかりました(図2)。ナノスーツで保護されたボウフラは、FE?SEM観察後、飼育水に戻すと蚊に成長しました(図3)。

今後の展開

図3: FE-SEM観察後飼育水に戻すと、Tween20-ナノスーツで保護されたボウフラは水中で元気に泳ぎ(左)、やがて成虫になる(右)。
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ECSを模倣した物質として上記Tween 20を選定しましたが、現在では多様な有機分子を用いてナノスーツが形成可能であることを確認しています。これらの物質の単体、あるいは組み合わせ、また導電性物質などを付与することで、すべての生物の個体・器官・組織・細胞などに適用できる「ナノスーツ」開発を目指しています。「ナノスーツ」を用いれば、これまでの「生きた状態に類似した死んだ生物の微細構造」ではなく、「生きた状態のさまざまな生物試料の微細構造」を動的観察できるようになります。本手法を用い、多様な生物の生きた状態での微小領域での高分解能電子顕微鏡観察により、数多くの機能や微細構造を解明できれば、生物学、農学や医学などの生命科学分野での発展のみならず、近年世界的に注目されているバイオミメティックス(生物模倣技術)をはじめとする「ものづくり」の分野への著しい発展にも大きく貢献出来ると考えています。

引用文献

著者: 高久康春 (浜松医科大学)

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