2012年06月11日掲載 【昆虫の行動をあやつるウイルス: バキュロウイルスは宿主から獲得した遺伝子を改変して行動操作に利用していた!】

昆虫病理学の分野で有名な病原体の一つに、バキュロウイルスというウイルスがいます(図1)。このウイルスは、感染後に宿主幼虫の行動をあやつって高い場所へと移動させて殺し、死体をドロドロに溶かすという、SFさながらの恐ろしいウイルスなのです。最近の研究により、バキュロウイルスが宿主の行動を操作するメカニズムについて、非常に興味深い事実が明らかになってきましたので、ご紹介します。

図1: バキュロウイルスの一種・Bombyx mori nucleopolyhedrovirusの電子顕微鏡写真。
(クリックで拡大します)

図2: 行動を操作されたカイコ幼虫

図2: 行動を操作されたカイコ幼虫。通常、ウイルスに感染していない幼虫はその場を動かないが(上段)、バキュロウイルスに感染した幼虫は行動を操作され、激しく動きまわる(下段)。
(クリックで拡大します)

バキュロウイルス感染による宿主の異常行動は、100年以上も前から「Wipfelkrankheit (梢頭病)」として知られていました。宿主幼虫が高い所で致死することにより、鳥などによる捕食や風雨による死体からのウイルスの飛散が促進され、次代が広範囲に伝播します。つまり、この現象はウイルスによる利己的な行動操作であると考えられてきました。しかし、どのような分子メカニズムによって行動操作が行われているのかは、これまでよく分かっていませんでした。

筆者らのグループは、カイコとバキュロウイルスを用いて、このウイルスによる行動操作の研究を行ってきました(図2)。2005年には、遺伝子欠損ウイルスライブラリーを用いたスクリーニング研究により、ウイルスの脱リン酸化酵素遺伝子(protein tyrosine phosphatase, ptp)がこの行動操作に関わる分子の一つであることを発見しました(Kamita et al., 2005, PNAS)。バキュロウイルスの持つptpは、宿主であるカイコのptpと相同性が高いため、進化の過程で宿主昆虫のゲノムから獲得した遺伝子「宿主ホモログ」であると考えられています。このことから、筆者らはPTPタンパク質が脱リン酸化酵素として働いて宿主のシグナル系をハイジャックし、行動を活性化させていると予想しました。

図3: (上)作製した変異ウイルスの模式図/(下)変異ウイルスに感染したカイコの異常行動

図3: (上)作製した変異ウイルスの模式図。ptp欠損ウイルスでは、LacZ遺伝子が挿入されているため、PTPタンパク質の発現が完全に消失している。ptp不活性型ウイルスでは、119番目のアミノ酸(脱リン酸化酵素の活性中心)がシステイン(Cys)からセリン(Ser)へと置換されているため、PTPの脱リン酸化酵素活性のみが消失している。(下)変異ウイルスに感染したカイコの異常行動。ptp欠損ウイルスに感染したカイコは異常行動を起こさず、非感染カイコと同様に中心に留まっているが、ptp不活性型ウイルスに感染したカイコでは、野生株ウイルスに感染した場合と同様に異常行動が観察される。
(クリックで拡大します)

図4: バキュロウイルスによる宿主遺伝子の改変利用のイメージ図

図4: バキュロウイルスによる宿主遺伝子の改変利用のイメージ図。バキュロウイルスは宿主の遺伝子を水平転移により自分のゲノム内へと獲得し(上段→中段)、その後、獲得した宿主ホモログの機能を改変して行動操作に利用するようになったと予想される(下段)。
(クリックで拡大します)

しかし、この予想は裏切られることになります。PTPにさまざまな変異を導入したウイルスを作製し、行動実験を行ったところ、PTPの脱リン酸化酵素活性を失った変異ウイルスでも、行動操作は通常通り行えることが明らかになったのです(図3)。さらなる詳細な解析の結果、PTPはウイルス粒子内に存在し、正常なウイルス粒子を形成するのに重要な構造タンパク質であるORF1629と結合していることが判明しました。つまり、PTPは「酵素タンパク質」としてではなく、ウイルス粒子の「構造タンパク質」として利用されているということになります。また、PTPタンパク質はウイルスの病原性に大きく関与しており、宿主の脳へ十分に感染が成立するために必要なタンパク質であることも分かりました。以上の結果から、バキュロウイルスは宿主から獲得した遺伝子の機能を独自に改変し、宿主の行動を操作するために利用しているという、非常に興味深い現象が明らかになりました(Katsuma et al., 2012, PLoS Pathogens)(図4)。

宿主幼虫の歩行運動は脳が支配していると考えられていますが、ウイルス感染と脳機能との関係は、これまでよく分かっていませんでした。今後は、行動操作に関与する他の遺伝子の同定やその機能解析を行なうとともに、トランスクリプトーム解析や電気生理実験技術を組み合わせることで、ウイルスが宿主幼虫の神経活動を制御するしくみを明らかにしていく予定です。

ここでの内容について、さらに詳しく知りたい方は、以下のサイトや文献をご参照下さい。

参考文献・サイト

著者: 國生龍平・勝間 進 (東京大学・大学院農学生命科学研究科)